バシコ周回/ バシコクランク/ ホンダ埠頭/ 戻る
「 通称「バシコ」 周 回  」

昭和61・62年頃だったであろうか。
私がまだアルトワークスに乗っている頃、船橋の港に周回できるコースがあり、そこをバイクや車が攻めていると聞いた。
当時の走り仲間だったスズキ@マー坊くんと見に行くと、バイクも車もゴッチャマゼでそこを攻めていた。

その中でも白いTE71レビンは、当時ほとんど見れなかったドリフトをしており私は大きな衝撃を受けた。
それからは休みの前の晩には必ず通うようになり、自身もワークスで攻めたが、いかんせんこの周回路は速さを競うと言うよりは走っている見た目が重要。
セリカXX GA61に乗るシュウヤのドリフトも見ものだった。

この頃雨になるとクランクの方を攻める86が居た。(名古屋くん@千葉大生)
こちらは片側2車線と道幅が充分にあり、練習にはちょうど良かったようだ。

そんなある日、黒ボンは走りに行った筑波山で予期せぬテールスライドからアルトワークスを大破してしまう。
また時を同じくして、スズキ君もバシコクランクでクラッシュ。
二人ともここぞとばかりにKP61を購入したのだった。

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「 通称「バシコ」 クランク 」

周回路に大きなコンクリートが置かれ、通行できなくなった。
すると雨の日に数台のみが攻めていたクランクの方に車もバイクも流れていったのは当然の成り行きだろう。
最初は片側2車線の道路を目一杯幅を使って攻めていた。

私が見ていた訳ではないが、外回りギャラリーコーナーの立ち上がりで反対車線を走っていたバイクに乗っている人ごと乗り上げた事があったらしい。
そう言う事故もあってか、この道路の二輪乗り入れは禁止となった。
となると車の天下である。
私とスズキ君の二人はいつも連るんでバシコへ現われては走り回った。
同時期にFFからFRに乗り換えた二人であったが、努力と練習量と天性の才能か、スズキ君の進歩はすさまじく、当初雨でしかできなかったドリフトがドライでも出来るようになっていた。
一方の私は今だ雨でしか出来ていなかった。(笑)

この頃Pカーが来て待機するのは工業団地事務所前であった。
常連には前期FC3Sの"八百屋"、セリカXXの"シュウヤ"、SA22Cターボ、前期2ドアレビン、トラッドサニーの"トラッド"、TE71の"ポンポロ"、4AGキャブKP61などが居た。

当時土曜の夜ともなると千人以上のギャラリーが繰り出していた。

私が見た人の傷付かないクラッシュでのベスト3はここで全て起きている。

NO.3はGX71マークUがギャラリーコーナー内側でアンダーを出し、対向車線から突き出ていたガードレールがフロントガラスから入りリヤガラスを突き破った事故。
運転手はもちろん助手席にも人影があったが、どうにか避けられたようで、バックしてガードレールを抜き走り去った。

NO.2はこれもギャラリーコーナー内側でケツが大きく出てしまったGX61セリカXX白がIN側に巻き込んでそのまんま真っ直ぐ電話BOXを突き破ってしまいました。
それこそ西部警察での高橋レーシングのスタントのように・・・。
しかもこのクラッシュの数分前にこの電話BOXから掛けていた人が居たんですよ。あー、恐ろし。

NO.1は言わずと知れた、自分のクラッシュでしょうね。(自爆)
5Kピストン流用、68度カム、2T−G C/Pで充分戦闘能力は上がり、ドライでもまともなドリフトが出来るようになっていた頃、FタイヤにはいつもKP専門店の裏で廃タイヤに並べられていた2部山くらいのADVAN HFRtypeD175/70-12をはいておりました。
でリヤには、当時お決まりの"うんこタイヤ"。
そこいらへんのタイヤ屋さんの裏に置いてある廃タイヤを持って帰り、アルミに組み替えてはく。
この日はウェットでいつもの組み合わせだったのですが、タイプDの目がほとんど無くなっており、グリップ出来んかったんでしょうな。
ギャラリーコーナーじゃない方の外側の進入でフェイント気味に振ったところが、そのままアンダーを出し、歩道の縁石にまっしぐら。
左フロントサスを曲げ、牽引フックが引っ掛かりフレームごと曲がってしまい、修理にいくら掛かるか分からん。(爆)
と言う事で廃車となりました。(T_T)

その後はAE86に乗り換えてからも通い続け、今やルマンレーサーの織戸君やポルシェらしからぬポルシェ使いのナカイ君らも86乗りとして一緒に走ったりしとりました。

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「 ホンダ埠頭  」

船橋港内にあるホンダ輸出用車の埠頭へ通ずる道路の途中にあるクランク状のコース。
私がAE86の頃、バシコクランクと同時期でバシコが走れない時(Pカー襲来時とか。)に良く走りに行った。
片側1車線の道であるがトレーラーキャリーが曲がるためコーナーは広めに作られており、センターラインにキャッツアイも埋められていなかった。
周りは更地となっており、そこの中に停めてギャラリーも集まった。

GZ20ソアラが走る前にTスクエアのF1のテーマを掛けていたのが印象的で今も思い出される。



だが、思い出したくない嫌な思いでもある。
それはここを走っていた車が歩道を歩いていたギャラリーを跳ねてさらに歩道の奥にあった仮塀にまで突っ込んで止まった事故の一部始終を目撃してしまった事だ。
跳ねられた女性の生死については、そののち一度も聞く事は無かった。

跳ねられた人には悪いが、素人がこう言った場所で車を走らせているのだから、危ないと思う場所には立ち入らない。
ギャラリーするのはあくまで自己責任の範疇なのである。
一緒に連れて行った人が一言アドバイスでもしてればあんな事にはならなかっただろうに・・・。

今、元気でいてくれる事を祈る。

その後は私も走りに行かなくなった。

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