/ SS40/ CA72V/ KP61/ AE86/ CA31/ 戻る

[5th]  NISSAN  CA31 : CEFIRO

86もエアコンブローやターボを取外して、純正4AGに載せ換えて面白みが減った。
FRでもう少し大きな車でのドリフトがしてみたい。

"のぐっ"ちゃんから7M−GTEUの5速ソアラ3.0GTの話もあったが、なかなか進展しないので自ら探し始めた。

カーセンサーなどで調べてみると、人気のマークUやソアラは高くて手が出ない。
セフィーロならATより5速の方が安くなっており、ドリフターからも見逃されていた車でもあり、台数も少なく探し出すのは困難を極めた。
しかし、たまたま訪れた真夜中の幕張日産中古車センターで深緑のしぶ〜い5速セフィーロを見つける。

昭和63年式で4年落ち、確か120・130万円くらいだったと思う。
それほど当時は激安だったのである。(のちに急騰する。)

デフはビスカスが入っているから、まあいいや。
足はRS−R H150にKYBスーパースペシャルforストリート4段を組む。
クスコのストラットタワーバーにHKSリーガル60.5Φマフラーでパワーも充分。
(何せ、ノーマル4AGからの乗り換えだから。笑)

内装も今までの車よりシックで高級だった。
だがひとつだけの不満は、着座位置が高く、私のような上体を立ててステアリングを握るポジションではサンル−フ付きのためか、頭髪がいつもルーフに触れていた。

タイヤはフロントにダンロップW−1 205/60−15、リヤには純正で走っていた。
ホイールだけは好みの物が欲しくなり、RS−8 6.5−15を買う。
また、日産オプションのフロントリップを付け、ちょっとカッコよくなる。

この頃のお気に入りコースは吾国山。
上りの直線でスピードを乗せ、その上のS字から何度卍を切れるかが楽しかった。

「CAR BOYドリコンに出場したい!」
申込み書を送り、出場受理書が届く。
本番までさらなるレベルアップを目指し、フェリー埠頭で卍の特訓に励む。

平成4年8月、満を持して臨んだ"CAR BOYドリコン"では頑固一徹職人芸クラスにも関わらず、サンルーフにシベリアンハスキーの人形をはさんで走り回る。
審査席真ん前のヘアピンでは、カントのせいでケツの流れが止まり、それを卍でごまかしてクラス3位となりトロフィーを頂く。
またその表彰式では、久々に会った"オリド"ちゃんから「久しぶり。」と声を掛けられる。

< CAR BOY ドリコン出場の様子はこちら>

当時中央埠頭には「極」のセフィーロ2台が居たが、まだまだドリフトマイナー車。
こういった大イベントでセフィーロでもドリフトができるんだと言う事を全国に知らしめたのは私だと自負している。

それから数ヶ月は気分もテクも絶好調。
けれどその年のクリスマス前に走りに行った木更津埠頭において、一緒に走りに行った後輩の"デブ・ミウラ"GF31レパードがスピンし、我がセフィーロの横っ腹に突っ込む。
ドアやセンターピラーも曲がり、ボロボロ。(T_T)
レパードは廃車。
セフィーロはどうにか直ったが、妻から「走り禁止令」を出されてしまう。
その後は走りにも行けず、悶々とした日々を過ごす。
時を同じくして千葉から新潟へ転勤となる。
妻の居る時は走りに行けず、出産のため不在になると隠れて間瀬峠までドリフトしに行ったもんだ。


そして平成8年に妻がバックしてテールランプを割ってしまい、修理するくらいなら9人乗りのワゴンタイプに乗り換えようと言う話しになり、中古車屋に廃車手続きを取る。


「さようなら、セフィーロ。
お前のお陰でCBドリコンに出場でき、しかも唯一のトロフィーまで頂く。
ミウラに突っ込まれた時は悲惨な姿であったが、そののちもファミリーカーとして良く頑張ってくれた。
ありがとうな、安らかに眠れよ。」

戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送